ピースボートに乗った本当の理由

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去年の今日、私が乗ったピースボートが横浜港を出港した日だ。

 

気がつけばあれから一年、船に乗っている間は時間がとても長く感じたけれど、降りてからの時間はあっという間に経ったという感じがする。

 

それだけある意味ピースボートでの日々は充実していたのかもしれない。不満と文句ばかりの毎日だったけれど、結構地球一周の旅を楽しんでいたと今考えるとそう思えてくる。

 

私自身、ピースボートに乗るのが長年の夢だったと何度も書いてきているけれども、何故乗りたかったのかは書いてきていなかった。

 

ちょっと暗い話で長くなるけれども、この際書き留めておこうと思う。

 

話は24年前にさかのぼる、日本経済がバブルがはじけ不況まっただ中の頃だった。

それまでフリーのSEとして大手ソフト会社の下請けをしていたけれども、一年半ほどまったく仕事が来なくなった。

 

その為に家庭をかえりみずに仕事をもらうために走り回る毎日だったのだけど、ある日の日曜日疲れて昼過ぎまで寝ていたら、いるはずの家族が誰もいない。嫁さんも子供もいなくなっていた。

 

一瞬何が起ったのか分らなかったのだけど、まさかと思って銀行通帳やキャッシュカードを確認したが見事になくなっていた。

 

その後嫁さんから連絡があり全財産を持って逃げられたことが分った。

 

それからも仕事はまったくないので結局廃業して、職探しを始めたが不景気で全く見つからず。

思いあまって自分の作ったプログラムを見本に手当たり次第ソフト会社に売り込みに行くようなこともしたけれども全滅だった。

 

やっとそれから半年後知人の紹介で、ある零細企業のシステム担当に雇ってもらったけれど、そこが超ブラック企業で、休みなし、残業しても一切手当はなし、上司の言う事を聞かない奴はすぐにクビというめちゃくちゃな所だったけど、そこしか行く所しかなかったので、お世話になった。そのうえ足下を見られて収入は今までの半分以下という契約になってしまった。

 

それでも食っていくために毎日必死になって働いた。

 

そんな時によく見かけたのが、街に貼ってあるピースボートのポスターだった。

あの当時は99万で地球一周というのが売り文句で、金も家族もなくした私には高嶺の花だったけれど、死ぬまでに一度はこんな船に乗って世界中を回りたいというのが私の夢になっていった。

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その後、正式に離婚し、その翌年今の奥さんと縁があり再婚をした。

 

これでやっと幸せになれると思っていたら、今度は仕事でトラブルが発生した。

 

会社に入って10年ぐらいした頃。それまで行ってきたシステムが一段落付いた頃から、会社が私を不要扱いにするようになり、色々と理由を付けて嫌がらせをするようになってきた。

 

最初は無理難題の仕事を押しつける程度だったけれども、それを何とかこなしてしまうと、今度は逆に仕事が一切廻ってこなくなった。

 

それで他の人が忙しそうにしているので手伝おうとすると、「お前は忙しいだろうからするな」と釘を刺される。

 

仕方がないので自分で仕事を探し、色々とシステムを改善したりしてとにかく文句を言われないようにした。

 

そうすると今度は机の配置転換をされた。エアコンも暖房も全然効かない所に追いやられ、夏は汗をだらだら流して団扇でしのいだ。冬は寒さで手足が麻痺をするのでとにかく厚着をすることで対処した。

 

そんな生活が5年ほど続いた頃。さすがに精神的にかなり参ってきてしまい、心療内科で診察を受けた。

 

結果は鬱病だった。

 

当然医者からはしばらく休職をすることを勧められたけれども、私が知っている限り2人の人が鬱病で休職した後、強制的にうちの会社を退職させられていた。

 

その理由は「怠け者病で休むような奴はうちの会社に必要ない」という偏見的かつ差別的な理由だったけれども、組合も従業員を守ってくれるような組織がないうちの会社ではそれに応じるしかなった。

 

だから私は会社に鬱病だと言う事は報告せず、薬でごまかす方法をとったけれども、結果症状は良くならず、逆に薬の副作用で仕事中に極度の眠気が襲ってきてしまい、何度か仕事中に居眠りをしてしまった。

 

その事が会社側にばれてしまい。今後そういう事態が起ったら解雇も辞さずと言われてしまい、勤務中は一切薬を飲まないことにした。それがピースボートに乗る5年前の話だ。

 

それからは毎日が地獄だった。薬が飲めないために極度のストレスから急に恐怖感や不安感に襲われたり、鬱病のため、突然何も出来なくなり手が止まってしまうことがあった。

 

それでも解雇だけはされたくないので、必死に働いたけれども人事評価は下がる一方で、結局役職も解かれ、給料も大幅カットされてしまうという事態になった。

 

そんなある日、嫁さんにお願いをした。「頑張って定年退職までは働くけれども、それ以降は今の精神状態では働くのは無理だと思う。出来れば一年間で良いので休養させてほしい。そしてその一年間の間にピースボートに乗ってのんびりと体を休めたい」と。

 

嫁さんはあっさりと快諾してくれた。それまで私が辛い状態を察知してくれたのだと思う。本当に感謝しきれない気持ちになった。

 

それからはピースボートに乗るという目的のために頑張った。とにかく文句を言われないように元気を装った。

 

なんとか定年退職の日まで頑張れば地球一周というご褒美が待っているというのが私の張り合いとなって、頑張ることが出来た。

 

そしてついに定年退職の日を迎え、それから5日後にはピースボートに乗船していた。

正直言って精神的にも完全に限界ギリギリのところだった。

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ピースボートという目標がなければ、きっとどこかで完全に切れてしまって定年退職を待たずに会社を去っていたことだと思う。

 

船に乗ってからは抗うつ剤はいつでも飲むことが出来たし、幸い素晴らしい仲間と出会うことが出来たおかげで、大きな鬱症状も極度な不安感も出ることはあまりなかった。

 

それでも鬱病自体は完治したわけではないので、ピースボートの中でいつもネガティブな事を考えたり、薬の副作用ですぐに眠たくなるためにいつも寝ていることが多かったりしていたのは、こういう理由があったからと言うのが真実です。

 

もっともそのおかげか比較的のんびりと船旅をすることが出来たました。まだまだ鬱病は完治していませんが、症状は仕事をしている頃と比べるとかなり好転してきていると思います。

 

ただ嫁さんとの約束である一年間の休養期間は既に切れてしまっているので、ぼちぼち真面目に再就職か自力でお金を稼ぐ方法を考える必要がある時期になっているけど、まだ具体的な道が見つかっていないのが現状なのでそれが今の一番の問題です。

 

これからが本当の意味で大変かな。(^_^;)

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