1日目:いよいよピースボートの出港だ!!

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2016年8月19日(金)

夏の残暑の中、ポートライナーを降りてから船着き場まで急いでいた。

今日は長年の夢だったピースボートで地球一周をする出港の日。

この10年間じっくり計画した事が、やっと実現して待望の出港の日が来た。

私がピースボートに申し込んでから2年近く経っていると思うと、この日が来たのは結構感無量の心境になっていた。

ピースボートは横浜港と神戸港のどちらかで乗船するので、家が関西の私は当然神戸からの乗船とした。

ピースボートの出港の日はとにかく慌ただしい。

だいたい船の出港の4,5時間前から船に乗り込みが開始される。乗船する人数が多いのと、持ち込む荷物も多いので、全員が乗るまで時間がかなり掛かるためなのだけど、幸い乗り込む時間は前もって連絡が来る。

詳しことは分からないけど、基本的に船の下の船室の人から乗り込む形をとっているそうで、遅い時間帯の人は上の階の部屋の人となっているそうだ。私は3時間前の乗り込みだったので比較的に上の階かなと予測していた。

実はピースボートは乗船当日まで自分の部屋が何処になるのか分からないのです。申込時にどのタイプの部屋を選ぶかである程度の階数は分かるのですが、船のどのあたりになるのかどんな部屋なのかもまったく分からないので、当日は結構ドキドキしながら港に向かうことになる。

港に来ると当然ながらピースボート、オーシャンドリーム号は既に停泊中、何度か見たけれど意外と大きい船だなと改めて実感する。

これから104日の長い期間この船が私の家なんだなと思うと、ふと写真を撮っていた。そして船内へと足を進めて行った。

緊張感のピーク。自分の体が硬直しているのが分かる。文章が硬いから気持ちも凝り固まるのだろう。少し柔らかい感じに書こう。

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おっとその前に日本の出国審査があるので、それを受けなければ行けません。そのあたりは飛行機で海外に行くときと同じです。

ただ出国審査を済ませると日本に100日間以上帰ってこれないんだという気持ちが急に湧いてきてしまい、私はかなりの不安と寂しさを感じてしまった。

何と言っても海外に一人旅で行く事自体まったくの初めてであり、こんな長期の旅に出るという大胆な行動も初めてだったので、本当に最後まで離脱せずに航海が出来るかどうかさえも全く自信がなかった。

でも私の勝手で我儘な夢を文句一つ言わずに聞いてくれたうちの奥さんの事を考えると頑張って地球一周をしてこなければと思った。もっともそれ以上に奥さんには心から感謝と敬愛の気持ちでいっぱいでしたが。

 

それからピースボートに乗船すると最初にパスポートを預けます。その代わりというわけではないのですが写真入りのIDカードを受け取ります。

このIDカードはピースボートなどのクルーズ船で生活するには命の次に大事なもので、船室の出入りにも使うし、船の乗船、下船時にも使います。あと船内での買い物や飲食時の支払いも全てこのカードが必要になるのです。だから船ではいつも必ず携帯する必要があるものでした。

次にクルーが私の荷物を運んでくれて私の船室に案内してくれます。この時初めて自分の部屋が何処なのかがわかります。まさにドキドキ感の絶頂でした。

また私は二人部屋を申し込んでいたのでどんな人と同室になるのか、かなり緊張をしておりました。正直性格が合わなくってうまく行かなきゃどうしょうというネガティブな考え方が頭の中いっぱいになっていました。

自分の船室に行くと同室者が早速私をお出迎えしてくれました。横浜から既に乗り込んでおられた通称オノちゃんという私と同年代の男性でした。

オノちゃんはとっても気さくで陽気な方だったので、すぐに仲良くなる事が出来ました。これって本当にとってもラッキーな事した。

部屋に入るととりあえずお互いに自己紹介をして、少し世間話をしていたのですが、足元を見ると通路を塞ぐように大きなダンボールが2つ転がっていました。

そうなのです、私が送った荷物だったのです。それに気がつくと流石に世間話などをしている場合ではないというモードになり、一気に荷物整理モードに入りました。

約2時間くらいかけて何とか形だけの整理が終わりましたが、完全に片付け終わるまで正味3日ぐらいかかりました。

それでも私の場合は2人部屋だったので荷物も広げながら、じっくりと荷物の整理をする事ができたのですが、これがもし4人部屋だったら、どうやって片付けて良いものか正直かなり悩むところだったでしょうね。

そうそう、私の送ったダンボールですが何故か凄くボロボロになっておりました。かなり変形しているし、そこらじゅうに穴が開いているし一体どんな運送の仕方をしたのか疑いたくなりました。帰国時にもこのダンボールで配送するつもりでしたので、このままじゃ使えるかどうか、かなり不安になりました。

そう言えば同室のオノちゃんが送った荷物もビンを知らずに入れてしまったところ、見事に破れてダンボールがグシャグシャに濡れていたそうです。

その荷物の整理が終わったらちょうど船の出港の時間になってしまい、慌ててデッキに出ました。奥さんが見送りに来ると言っていたので、船の出港の時に恒例で行う紙テープを投げて出港を祝うというのをやるつもりだったのですが、残念ながらこの時は突然大雨になってしまい、結局出港式は行われずじまいでとても残念な思いでした。

それでも他の方もそう思っていたためか、多くの人が雨の中をデッキに出て見送る人に手を振っていました。私も一緒になって手を振っていました。すると港の見送りデッキにうちの奥さんの姿を見つけて手を思いっきり振りました。奥さんもそれに気づいたのか手を振り返してくれました。その光景がとっても嬉しかった反面、そしてすご~く寂しい気持ちになってしまいました。

船が少しづつ沖を離れるのを見ながら、暫し日本を離れる不安感と何かが始まる期待感が入り混じりながらの中を旅立ちました。

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出港後、これで少しは部屋でくつろげるかと思ったら、今度はいきなり避難訓練をするとかで、救命具を来て8階に集合させられました。なんだかよく分からないけれどもクルーズ船に乗る人は必ず義務として参加しなきゃいけないそうで、この避難訓練はピースボートに乗っている間毎月のように行われました。

避難訓練でヘトヘトになって部屋に戻ると、あっという間に初めての船での夕食の時間。同室でオノちゃんと早速4階レストランに行きました。

オノちゃんは前日から乗っていたので船のことをすでにかなり熟知されているので、私はただ付いていくだけのおまかせ状態でした。

そこでオノちゃんが既にお友達になっていた通称イイさんを紹介されて3人で食事をすることになりました。

ちなみにピースボートでは食事をするテーブルは基本的に決まっておらず、来た順番に詰めていくという方式になっています。

またテーブル自体も4人から10人用と大きなものですから必ず誰かと相席になるようになっていました。

それはそれで知らない人とお話ができるチャンスが増えるので楽しいのですが、人見知りをするタイプの私には少し苦痛でした。

 

その日も相席になった方々と初対面の挨拶や自己紹介をしたり、この日のために作った名刺を配ったりしました。

食事での会話はそこそこ楽しかったのですが、食事自体がちょっとイメージと違ったものだったです。何となくお膳の上に家でごく普通に見るような食事が並んでいました。その内容はクルーズ船の食事というより、どこかの民宿のご飯かいという気持ちに正直なりました。

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ちなみに別料金ですがビールや焼酎などのお酒も飲めました。値段も意外と手頃だったので、乗船してからバタバタしていた私はとてものどが渇いていたので、早速ビールを注文しました。(ビールはジョッキーでサービス料込み540円ぐらいでした)

食後、オノちゃんと船にある居酒屋「波へい」にいきなり飲みに行きました。結局初日からお酒飲みまくりでした。

この居酒屋は昼間はレストランなのですが、夜になると有料の居酒屋に変身します。ちなみにここも値段は良心的でお酒とツマミをとっても1000円で十分という感じだったので本当よく利用させてもらいました。もっとも飲み食いより喋っている時間のほうが長い一番迷惑な客だったですけれどもね。

そんなこんなで気がつくともう夜の11時をまわっていたので、部屋に帰りましたがそれからもオノちゃんと色々世間話をしてしまい。結局寝たのは日付が翌日になっていました。なんだか本当にとても慌ただしい一日でした。

あとこんな調子で103日間も頑張らなければと行けないと思いながら、その日がぐっすりと熟睡してしまいましたです。

そういうことで始まった船での生活ですが、こんなにいきなり飛ばしていて持つかな私の体。(^_^;)

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